靖国神社
昨日は新しい年度になって初めての平日休み。
10年以上前の終戦記念日に一度だけ参拝したことがある靖国神社へ、初めて正式参拝をしてきた。
若いころは靖国神社に対して「右翼」「戦争礼賛」というイメージを持っていた。
しかし、最近、ネットやYoutubeで様々な情報に接し、自分の感じ方や考え方もだいぶ変わってきた。
正式参拝ですべての戦没者に御霊に祈りを捧げたあと、遊就館という資料館を見学。
以前、終戦記念日に参拝した際は、中に展示してあるゼロ戦を見て中に入る気が起こらなかった。
たしかに武器の展示だけ見れば戦争礼賛という印象になるかもしれないが、戦争で亡くなった方々の遺書や遺影を見ると、印象はまったく異なる。
人数は数えなかったが、何百人、何千人という方々の遺影は、自分や毎日通勤電車の中ですれ違う人たちと変わることのない、ごく普通の方々の姿だった。
戦争さえなければ、結婚し、子どもを育て、老い、自然な時間の流れの中で肉体が朽ち果てるまで、様々な経験をし、成長し、それぞれに学ぶこともあり、肉体を離れただろう。
ごく普通の一日が、実はとても貴重なものであることを改めて気づかせていただいた。
戦没者という言葉は抽象的で、一人ひとりの顔が見えてこない。
見えてこないがゆえに、8月15日は平和への感謝を強いられる説教臭い1日になっているように思う。
思想傾向の右左に関係なく、戦争で亡くなった一人ひとりの方々の遺影に接し、遺書の一文字一文字に目を通すと、靖国神社に対する感じ方も変わってくるのではないだろうか。
今朝の体重:81.65kg(前回比ー0.4kg)
関東上空に火球
昨夜、関東上空に大きな火球が流れたらしい。
高校生のころ、お茶の水の予備校の屋上から夕暮れ時に火球が煙の軌跡を残しながら富士山の方向に落ちて行くのを見たことがある。
煙を吐きながらの直線運動だったので、UFOではなかったと思う。
当時はスマホもないので記録に残すことはできなかった。ニュースになると思ったが、ならなかった。
それから7,8年後に、硫黄島より少し北にある島で暮らしていたころに、本物のUFOを見た。夜中の2時ごろに一人で見たので、証拠はないが。
大きな母船が回転しており、そこから無数の光が飛び出して、数分間不規則な動きを続けた。
その間、母船は回転し続けており、光は母船の周囲で不規則な運動をしていた。
ある瞬間に、無数の光がすべて母船に吸い込まれるようになくなり、母船UFOも消えた。
つい最近、夢の中でUFOに乗り、運転の仕方を教わったことがある。
ディスプレイに宇宙の地図のようなものと、宇宙空間に流れるフリーエネルギーの場所が示されていて、このフリーエネルギーに沿って目的地まで近づき、そこから先は別のエネルギーを使って移動すると教わった。
理屈はきわめて単純だということを何度も強調された。
教えてくれたのは、その辺にいる普通の地球人の姿をしたおっさんだった。
操縦桿らしきものが1本あったが、使わなかったような気がする。
自分の意識で進行方向を選ぶというのが当然の前提だった。
多分、ただの夢だとは思う。
今朝の体重:82.6kg(前回比±0kg)
疲れると
遠くの神社か山でへ出かけて森林浴をしたくなる。
たまには海の近くもいい。
行ったついでに蕎麦か漁港の食堂で食事をしたい。
今、ここに感謝します。
今朝の体重:82.6kg(前回比+0.5kg)
Fukushima50
映画「Fukushima50」を観た。
あの日から何年経ったのか、気がつくと意識することもなくなっていたが、もう9年前の出来事になっていた。
当時、車の中で聴いていたラジオで、海水注入を止める指示が官邸から入ったことがどれほど無駄で有害、腹立たしいことだったかを吉田所長が話しているのを聞いた記憶がある。
その吉田所長も食道がんでお亡くなりになったらしい。
事故当時、原発内に残ってメルトダウンを阻止しようと戦っていた方々は50名ではなく、実際には70名前後いたらしい。
吉田所長以下の職員の方々の戦いがあったから汚染地域はあの程度で済んだ。
それでも、原発を完全な廃炉にするまではまだ30~40年かかるらしい。廃炉へ向けた作業現場にも様々な矛盾や現場へのしわ寄せがあるのではないかと想像される。
武漢ウィルスで世の中が止まっていたとき、Youtubeで無料公開されていた坂本龍一のドキュメンタリー映画を観た。
その中で、坂本龍一が津波をかぶった学校の教室に残されたピアノを弾きながら、プレートに蓄積したエネルギーを開放するために海底のプレートが大きく動き、その結果津波が起こったことは、プレートの側から見るなら蓄積したエネルギーを開放しただけの自然な動きであるが、ピアノという楽器はピアノ線という鉄線に木の箱の中で不自然は張力をかけ、元に戻ろうとするピアノ線に無理やり張力をかけ続ける反自然の道具であるといった話をしていた。
このことはピアノから原発に至るまで当てはまることではないか。
自分たちが心地よいと感じている生活の裏に、常に自然の反力が人間に向かってくるリスクがあることを、Fukushima50は思い出させてくれた。
原発=悪という考えが一般的であると同時に、そこでプロとしての自覚と重い責任を背負って働く方々がいるということも事実。
いろいろと考えさせられる映画ではあった。
[http://]
今朝の体重:82.1kg(前日比+0.2kg)
今日は暑くなるらしい
昨夜は寒かったが、今日の気温は30℃以上まで上がるらしい。
C国ではすでに洪水が起きたりダムの決壊が迫ったりしているが、日本にも昨年以上の大きな台風が来るのかもしれない。
平穏が生活が続くことを祈りたい。
今朝の体重:81.9kg(前日比ー0.2kg)