tora18yearsの日記

1日1食ブログ+令和の徒然草もどき

今、ここ

元々宇宙は光、愛、優しさ、調和で満たされている場所で、すべての魂はそこで生まれたものだと思う。

しかし、それだけでは魂が成長しないため、神は善←→悪、愛←→憎しみ、といった二極性の世界を作った。それがおそらく地球という場所。

その地球で修行することを望んでやってきたのが、人間という存在。
地球人は、宇宙の中ではかなりの変り者の集団に違いない。

最初は短い期間だけ修行をするつもりでやってきた。
いわば「短期留学」のつもりでいたのだが、それでは魂が成長できないと考え、あえて元々暮らしていた宇宙を忘れるように自らを仕向け、地球から簡単には足抜けできないように自らの意識を二極性の世界に適合させた。
自らの意識を深く眠り込ませ、短期留学ではなく、長期留学を選択した。

これがあまりにも上手く行き過ぎてしまい、自分たちは最初からこの二極性の世界の住人だとすっかり信じ込んでしまった。
一時的に眠り込み、二極性の世界を味わったら再び目覚めて宇宙に還るという、当初の予定を忘れてしまったのだ。

短期間だけ二極性の世界を味わい、すぐに元々暮らしていた宇宙へ戻るつもりでいたのが、意識の眠りがあまりにも深くなりすぎ、二極性の苦しみの世界から抜け出すことができなくなってしまった。
そんな状態で、あっというまに何万年という時間が過ぎ、地球上で何千回、何万回と輪廻転生を繰り返してきた。
二極性の世界で負ったカルマが、眠りをさらに深いものにした。

自由意志が尊重される宇宙では、人間を無理やり目覚めさせることはルールに反する。
自分の意志で自分の意識を眠らせた以上、目覚めるときも自分の意志で目覚めるという選択をしなければならない。

この状況で、自由意志によって目覚めるのは誰かといえば、もう十分というところまで二極性の苦しみを味わった人間なのだと思う。

エックハルト・トールが"Suffering is the only spiritual teacher(苦しみは唯一のスピリチャルな教師である)"というのは、そういう意味ではないか。

最近いわれている地球のアセンションというのも、このような状況で宇宙から与えられた助け舟かもしれない。

自分の意識が自分の現実を作るという真実に目覚めるタイミングが今なのではないか。
しかし、目覚めるという選択は、人間の魂が地球に降りてきたとき以来、常に可能だった。
その選択が可能なタイミングとは「今、ここ」なのだろう。

「今、ここ」を忘れ、過去や未来という幻想の世界にあまりにも漬かりすぎ、そこで蓄積したカルマも、意識を眠らせる方向に作用した。

地球という星で暮らし続けるとしても、目覚めるという意識の選択をしない限り、二極性の世界でさらなる苦しみを味わうことになるような気がする。

でも、それは個々の魂が自由意志で選択しなければならないこと。
強制することはできない。