Fukushima50
映画「Fukushima50」を観た。
あの日から何年経ったのか、気がつくと意識することもなくなっていたが、もう9年前の出来事になっていた。
当時、車の中で聴いていたラジオで、海水注入を止める指示が官邸から入ったことがどれほど無駄で有害、腹立たしいことだったかを吉田所長が話しているのを聞いた記憶がある。
その吉田所長も食道がんでお亡くなりになったらしい。
事故当時、原発内に残ってメルトダウンを阻止しようと戦っていた方々は50名ではなく、実際には70名前後いたらしい。
吉田所長以下の職員の方々の戦いがあったから汚染地域はあの程度で済んだ。
それでも、原発を完全な廃炉にするまではまだ30~40年かかるらしい。廃炉へ向けた作業現場にも様々な矛盾や現場へのしわ寄せがあるのではないかと想像される。
武漢ウィルスで世の中が止まっていたとき、Youtubeで無料公開されていた坂本龍一のドキュメンタリー映画を観た。
その中で、坂本龍一が津波をかぶった学校の教室に残されたピアノを弾きながら、プレートに蓄積したエネルギーを開放するために海底のプレートが大きく動き、その結果津波が起こったことは、プレートの側から見るなら蓄積したエネルギーを開放しただけの自然な動きであるが、ピアノという楽器はピアノ線という鉄線に木の箱の中で不自然は張力をかけ、元に戻ろうとするピアノ線に無理やり張力をかけ続ける反自然の道具であるといった話をしていた。
このことはピアノから原発に至るまで当てはまることではないか。
自分たちが心地よいと感じている生活の裏に、常に自然の反力が人間に向かってくるリスクがあることを、Fukushima50は思い出させてくれた。
原発=悪という考えが一般的であると同時に、そこでプロとしての自覚と重い責任を背負って働く方々がいるということも事実。
いろいろと考えさせられる映画ではあった。
[http://]
今朝の体重:82.1kg(前日比+0.2kg)